読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

喫茶去

日日是好日。皆様にとって毎日が好き日でありますよう。

                                                                                                                  こなつ

【読後感】岡倉天心『茶の本』~道教と禅~

岡倉天心茶の本』~道教と禅~

このブログのタイトルとかカテゴリの名前を見るとなんとなくぴんとくる方もいらっしゃるかもしれませんが、最近「禅」が気になります。趣味として続けてるもの(=お茶・ヨガ)が『禅』に関わっているからかもしれません。双方向からもう少し深く理解したいなと思い始めてます。

 f:id:nogajika:20150518012612j:plain

なので今日は前記事に引き続き、天心の『茶の本』。

 第三章 道教と禅」

 この章では

 茶とは、単なる遊びや作法ではなく、「teaism」という語に示されるように、東洋文明が到達した最高の哲学、世界観の結晶であり、実践なのだという天心の主張があまるところなく展開されてるのである。

 

御茶は 禅の礼法から発展してきます。禅は道教から。道教老荘思想から。つまり以下の矢印順の関係。老荘思想道教⇒禅⇒お茶。
という訳で天心は老荘思想から遡って、Teaismの底辺にあるその精神性を説きます。

 

この3つに共通する思想の要点はふたつ。

ひとつは、・・この世の一切は相対的な存在であって、絶対的に固定されてるものなどない。

道(タオ)は龍のごとく変転し、雲のごとく集散し、新しい姿を生み出していく永遠の成長とみなされ、”不変”は”成長の停止”とみなされます。

 

そして、もうひとつの要点は、・・現在、目の前の現実をかけがえのないものとして従前に受け入れ、味わえという教え

老子は物事の本質は”虚”だと説き、”虚”はすべてを受け入れるとしてます。タオイストは現実の世界をありのままうけいれ、嘆かわしい浮世にも美しさを見出そうとするのです。この思想がとりわけ茶道に影響を与えたと天心は考えます。

茶道は雑然とした日々の暮らしの中に身を置きながら、そこに美を見出し、敬い尊ぶ儀礼で

 

茶道の本質は、不完全という事の崇拝ーー物事には完全などということはないということを畏敬の念をもって受け入れ、処することにある

 

茶の哲学は、世間一般でふつう思われているような単なる唯美主義ーーひたすら美だけを追求する流派にとどまるものではない。それは、人間や自然に対するもろもろの見方をあらわしている点で倫理や宗教とむすびついてる

 

という訳で、『茶の本』のつづく第4章は「茶室」がいかに”老荘思想”を具現化したものかという説明に入ります。第5章は前出のブログでかいた道教の「琴馴らし」という話を例にだし、芸術鑑賞の在り方を説いてます。

 

茶の本』というタイトルだけれども、日本文化の底辺に流れる思想、美の形式の在り方、などなど、その話は”茶道”にとどまりません。興味のある方は是非ご一読を

 

 

nogajika.hateblo.jp

広告を非表示にする